私はハワイに永住しない
私はハワイに永住しない
私は前夫のホームタウンであるハワイに3年余住んだ
それはお客さんの旅行者とは違う
永住権を申請し、取得した移民としての暮らし
私の事情は、日本に自分の家もなく
ハワイでゼロから仕事を探し
人生の基盤をハワイで作るということ
その中で このまま
日本に帰れない不安も出てきた
ハワイに永住する?
私はずっと自分に問いつづけた
できるだけハワイに住む努力した
そして、ノーの答が出た
私は帰国した
日本語活字中毒
当たり前ですが、脳に入ってくる情報の中で
「日本語」量が圧倒的に減ります。
ホノルルにはいくつか日本の本屋さんがあり、
私は「いわせ書店」によく通っていました。
自分の書籍に使う金額は予算上月に百ドル。
雑誌は航空便で2冊、定期購読していました。
しかし、日本で毎日のように本屋か図書館を
のぞく私は、図書館も日本の本はほとんどないし、
ものすごいフラストレーションを感じます。
住んで勉強を続けるにつれ、英語力が向上し
英語での情報が脳に入りやすくなってきます。
そういう意味では、日常の情報取得の不便や
知的欲求不満、はだんだん解決していきます。
私はずっと日本で、興味ある読み物がないと、
自分でどんどん文章を書い� �いくほうでした。
そして、その書くことは、どうも英語に変換
しても満足できないのです。
それは例えば、好きな日本の作家の本を、
英語でしか読めなくなるのはぜったいにいやだ、
という感覚。「ニュアンスの味わい」の問題。
日本語感覚は自分には絶対的なのかしら。
だんだん日本語情報吸収が減ることで日本語の
表現が出てこなくなる自分がとてもいやでした。
色々な人の考えや、たわいのない、と思っていた
お喋りが、日本語脳の栄養になっているのですね。
英語も好きで、英語で表現し易いこともあるけど、
私は毎日、日本語のおもしろい本を4冊ほど読め
友人と知的会話で日本語を磨ける喜びは捨てられない!
日本ではこうした当たり前に気がつかないですが。
今は日� ��でサークル誌で原稿書いて喜んでます。
ハワイで大きな日本の本の図書館を作ることが、
もし永住するなら私の課題になるでしょう。
そこまでして住むつもり ない。
着るもの
ハワイは服がいらなくって気楽でいいな、と
言う人は本当に多いようだ。が、そんなに
ファッションって、面倒くさいことかしら?
確かに、ローカルの人の服装を見ると、気楽。
男性は、職場でアロハシャツで、ネクタイは
見かけない。女性はストッキングをはかない。
プライベートはほとんど短パンにティシャツ、
そしてかばんを持っている人は本当に少ない。
私は毎日服装を楽しみたい。そのとき様様に。
ちょっとしたコンサートのために、あれこれと
服を物色する。つまり自分なりに楽しむこと 。
丁寧に作られた服や、工夫されたデザインに
人間の叡智や、素敵を感じながら生きること。
着れたらいい。という意見ももっともだと思う。
でも私はそう思っていない。着るものはまるで
着ている人に魔法をかけるようだと感じている。
私にはそうした、ちょっとした魔法がとっても
大切だから、それに気がつかない人は苦手だ。
ハワイには、そんな私の苦手とする人が多い。
スーフォールズサイクロン
ハワイは私のほしい服がめったに見つからない。
自分で作ろうと、生地やさんもいろいろ行った。
でも、インスピレーションが恐ろしくわかない。
自分本来の想像力がなぜか、なくなってしまう。
「日本に買い物に行きたい」が、いつも心にあった
年に一度の帰国のとき、それは丁度夏物最終セールで
私はたくさん服を買った。何十枚も。1年分だ。
でもいつもの店ではなく、スーパーで、だ。
だって、スーパーの服でもハワイでは上等。
そう、気に入った服を買っても
ハワイでは自分のおしゃれができる場所がない。
カジュアルすぎるのだ、どこも。旅行者ならいいが、
すごくさびしい。自分が減ってしまうみたい。
� �っとこんな人生?
ぜったいにいやだ。
たぶん、数多くの服をこれまで楽しんできて
その一部分しか着れないハワイが窮屈なんだろう。
そう、窮屈なのだ。自分の感性が!
ハワイの赤土は洗濯しても落ちにくく、強力な
洗剤が必要で、靴や子ども服の上等は意味がないし。
たった一度だけ、私を感激させた人がいた。
「ううん!この男!地味に押さえてあるが、イタリアの
さりげなく凝ったデザインものを着ている!すごい!
周囲に浮かずに、しかし見る人が見たらわかるファッション!」
と、ぷるぷる私が興奮してふるえた男をよーくみると、
・・・・郷ひろみだった。
カハラのマックでハンバーガーを買っていた。
食べること
ハワイは楽ちんと言われるけど
いい食事を作 ろうとしたら日本より大変。
日本ではポラン広場の有機野菜がすぐ手に入るし
できあいのおかず屋でも健康的なメニューがある。
ダウンtoアースの食材はどうもおいしくない。
庭があったので自分でパパイヤは植えて食べた。
が、野菜は働きながら毎日の水遣りが大変。
野菜を自分で育てられるならいいな。
無農薬の玄米や納豆も入手できたらいいな。
アメリカはオーガニックが日本より進んでいるはずなのに、
ハワイはぜんぜん違う。
故郷の阪神間はパンもケーキもおいしい
色々な国のおいしい料理もすぐ食べられる。
和菓子でも、洗練され、お客様のお土産が
いつも楽しみ。
帰国して、アンリシャルパンティエのケーキや、
リュリュのたらこしそスパゲッティをがつがつ食� ��る。
でもハワイでどうしても食べたいものは・・・ない。
子どもに与えるおやつがほとんど買えない。
どれも色つきのおどろおどろしいもの。
結局手作りになってしまいます。
毎日の暮らしはとてもとても大切
食べることはとっても神聖なこと。
子どもの教育の基本でもあります。
住むところ
土地の高いハワイで、住宅にまでお金をかけられる人は
ほんのひとにぎり。
建材も船に乗って送られるから安くはならない。
常夏のハワイならではの、簡易住宅が目立つ。
壁にたなをつけようと穴を開けたら、外に貫通した。
すてきな家を見つけに散歩してみるけど、
豪華な家は、お金がかかっているのは見えても、
その人なりの、工夫やすてきさが見えない。
家は住むところ。
でも、その住み方を考えているんだろうか?
私ならこの壁はオスモの薄い黄色を塗るのにな。
この塀からハイビスカスをのぞかせたら素敵なのに。
そんなことを言っても、意味が通じなかった。
そんなことを考えてる人は少ない。
なぜポピーを身に着ける
今日本のホームタウンを散歩すると、
多くの家では、人の目を楽しませようと
たくさんの花が植えられている。
ちょっとした家のありように、住む人の心が見える。
「ハワイはね、貧しいところだから、夫婦で働いて家を買うだけで人生が終わる。
2つで1ドルのハンバーガーは安くてラッキーとか、遊ぶのは海で
ただでラッキーとか、そういう感覚」
今日本で音楽家として活躍しているハワイ出身の人が語る。
「音楽にお金出すなんて、一般的じゃないね。メインランドから
リタイヤしてきた金持ちたちがハワイの音楽家を支えてるんだよ」
その他生活の中で
・腐った納豆
近所のスーパーで、腐った納豆に遭遇する確立 は50%。
中身を開けると白いぶつぶつでいっぱい。
つうんと腐敗臭がする。
が、「納豆は腐ってるものでしょ?臭いものでしょ?」
と、誰も私の話を取り合わない。
交換してもらったら、また同じ状態のものが。
・花
花の数が少なすぎる。貧しい。
ガーべラとバラとかすみそうとマーガレットで
何とか素敵に活けてみる。しかしあきる。
許せないのは色水を吸わせた花だ。
どうしてこういうひどいことをするのだろう。
知り合いの家に行くと冷蔵庫にバラが一輪あった。
「もらったけど、そとに出すとすぐ枯れるから」
?????
私にはわからない感覚だ。
庭に植える花も本当に種類がない。
日本ではほとんどどこのお宅に行っても,かならず見る為の花がある。
そんなこ とがとてもうれしい。
・大学のピアノレッスン
ピアノが得意でない私は一番下のピアノのクラスを取った。
「ピアノは鍵盤楽器です。見てください。白い鍵盤と黒い鍵盤があるでしょう」
ハワイって、、、いやアメリカって、大学に入る前にピアノを知らない人もいるの?
こりゃだめだー。
私がへたくそなピアノを弾くと、先生は「上のクラスに行きなさい」
私は日本で私よりピアノの弾けない女性に出合ったことがない。
「言葉が通じなくっても、ショパンを弾いたら共通の趣味で分かち合えた」
と、ヨーロッパに住む友人は言っていた。
ハワイではないのかなあ。
ショパンやモーツアルトは世界共通の教養ではないのだなー。
別にショパンがえらいわけじゃないけど。
私はそういう刺激 がほしいから。
「ずっとね、バッハの○番が私の課題なの。
一生かかっても弾けないような曲に出会えた幸せね」
そういう人が私にパワーをくれるから。
災害
ハワイの雨季は日本の冬にあたり、12月から2月。
6月にハワイに引っ越して、半年後内装もやっと完成し、
ほっと一息ついた頃、集中豪雨がやってきました。
空家に私たちが住み始めたことで、裏の家が作った塀、
これが大変なことを引き起こしてしまいました。
聖フランシスの犬の小さな罪
ある朝ベッドから降りてびっくり。
床上30センチ浸水していたのです。
「何これ!」
豪雨が裏の家の塀で行き場を失い、一気にうちに流れこんできたのです。
半年かかって自分で作った板ばりの床や家具、衣類までも台無し。
テレビでは家を流された人やもっとひどい床上浸水の様子が。
そしてスーパーでは水を吸いこむバッキュームなるもののレンタルが。
つまりハワイではめずらしいことではないのです。
トイレの便器を外して、そこに水を流し、
スーパーでかろうじて残っていたバッキュームで水を吸いこんでも
カーペットはぼろぼろ、床もはがれてきました。
豪雨で停電にもなります。
ここは日本よりも後進国� ��んだ、と愕然としました。
羽ありはすごいし、ごきぶりも大量だし
犯罪
近くでレイプ殺害事件があり、気軽に夜コンビニに行ける日本の
生活はなんてのんきなんだろうかと思いました。
通っていたカレッジではデートレイプについての集まりがありました。
前向きに解決しようとする、そういう姿勢はすばらしいです。
ハワイで、希望する地域に住める人は幸せです。
犯罪の少ない地域に住めたらいいと願う人はたくさんいるでしょう。
幸い私はその点恵まれていましたが、前夫の実家があったからです。
自分たちでは住めない地域です。
私のカレッジの先生の住んでいるところは、発砲事件が日常的にあり、
小学校ではネイティブに英語を話せる子が少なく、
先生はお子さんをカレッ ジ近くの学校に通わせていました。
また、例えば、マキキは悪くない地域ですが、友人の住む1LDKのアパートには、
8人で暮らす家族がいて(違法です)、喧嘩が絶えず、夜中に大声はしょっちゅう。
また他のコンドでは、人の出入りが多いなと思ってたら、住人は麻薬ディラー。
ガレージセールでは50セントで子どもの靴を探す人も多い、貧しいハワイの暮らし。
どろぼうはビデオデッキやテレビ、電子レンジを盗むのです。
ハワイで発砲事件の原因のトップをご存知ですか?
夫婦げんかです。
日本とは違うのです。
厳しい生活事情
ハワイの方が物価も安いし、楽だよ。
という当時の夫の言葉をうのみにしてハワイに一家4人引っ越しました。
これは、ハワイ出身でUHでESL学を専攻し� ��彼が、日本のほとんどの英会話学校が、
そうした専門に勉強した人よりも、頭はよくなくてもきんぱつで青い目
を求めている、ということを思い知ったから、という理由もあります。
日系人の彼は、自分ではなく、全くESL学の知識もないUSAで全く英語教育と
関係ないタクシードライバーの仕事をしていた高卒の白人が採用されていく現実に
日本が嫌いになってもいたようです。
そしておまけに採用になった英会話学校で働いていて、結核感染したのです。
アメリカ人はBCG接種していません。日常の暮らしの中でとくに心当たりなく、
学校でずっとせきをしている生徒がいたから、その人からでは、と考えていました。
彼には、日本は怖いところ、になってしまいました。
さて、結核療養で彼は先にハワイに帰り、退院後に私と、2歳、3歳の子たちが
ハワイに引越し。私たちはワイキキの短期貸しアパートで生活を始めました。
貯金が少しあったので、それを頭金にコンドを買おうと考えていました。
その頃(1987年)はワイキキサンセットのステュディオが7万ドルという相場。
最低2ベッド以上のコンドを探して入るうちに、がんがん不動産値が上がりました。
気がつくと、例えばその7万ドルの物件は20万ドルに。
レントするにも、家賃も高騰し、2ベッドで1200ドル以上。払えない金額でした。
ESL教師の彼の月収は900ドル程度で、それでは暮らせないので、チップの多い
日本人カラオケクラブで夜働くことに。税金が基本的に30%引 かれるのです。
いけないことですが、チップの収入はごまかせるのです。
私も働こうと考えましたが、子どものデイケアセンターは1人400ドルかかります。
二人で700ドルです。
結局彼の実家の使ってないぼろぼろに部屋を改装して住むことに。
材料費に一万ドルくらい費やし、自分たちで、トイレやキッチンを作りました。
実は私はこういう家作りが大好きで、全く苦にはなりません。
(が、その後、「災害」で台無しになったのにはショックでした。)
ハワイに住むなら、最低家を買えるくらいの余裕が私には必要だなと思います。
それ以外の生活費だけなら、ゆったり過ごせそうです。
ハワイの家賃はマンハッタンと変りなく、しかし収入は半分以下です。
大金持ちになったら?
それ� �もハワイに永住する気になれない。
人々の生活が貧しい以上、豊かな文化が育つ気配がないからです。
入管で
永住権を持つ私は、日本に帰ってまたハワイに戻るたびに、
入国管理局で「まった」をかけられる。
待たされて質問を受ける時間は平均3時間である。
あるとき、ロコの友人に注意された。
「スーツ着てる方がいいわよ、そういうときは」
そう?私はそれまで着ていたコムデギャルソンのパンツとティシャツの
10分の1の値段でスーパーで紺のスーツを買って着ていった。
すると確かに「マダム」と呼ばれて対応は良かった。
「ハワイで、子どもをがんがん作って福祉で暮らそうとする
移民が多いからね。そうじゃないことを見せればいいのよ」
友人は説明した。
コムデギャル� ��ンのパンツの洗練されたラインが、ハワイの人には
わからない、というのと、いくら高くてもティシャツはティシャツで、
安くてもえりつきのスーツは格が上なのだと私は学んだ。
しかしハワイにスーツ!機内で疲れることといったら!
そして私は入管用、マダムファッションを考えた。
レモンイエローのデザインの凝ったブラウスにピンクのパンツ。
それにフェイクの大きな真珠と、カサブランカ形のお帽子。
まるでビバリーヒルズの金持ち白人おばさん、である。
作家の野中柊さんは、イミグレ対策にローラアシュレイを着るそうだ。
そばで日本人旅行者たちが短パンで、ぼっけーと入管をくぐっている。
この10年、あんな気楽な格好をして私はハワイに行ったことがない。
気楽なお客様
帰るところがちゃんとあって
ハワイでいいとこだけを味わうのがいい。
日本の日常もとてもすてき。
気分転換に行くハワイもすてき。
おしゃれな日傘、手袋、扇子。
私の気楽なハワイに欠かせない物。
お出かけには日傘を持って出る。
トロピカルなちょっと目立つ傘。
とくにワイキキは旅行者の町だから。
ビーチでも日よけになる。
私は肌は焼かない。
ホテルに遊びに行ってもどこでも、
ケンゾーの扇子で涼を取る。
ハワイにはあの微妙な派手な明るさが粋だ。
午後にモアナホテルのアフタヌーンティ。
真っ白の素朴なお気に入りの綿レースの手袋で
お茶を楽しむ。一人で。
私はお客さまでいたい。
お客さまとして楽しみたい。
ハワイにもてなされたい。
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